2017/09 |  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 2017/11

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
パソコンがつながりました。(゚ー゚)(。_。)ウンウン


まだまだ引越し作業は終わってないですし、


新しい生活のリズムができるのも、


もう少しかかりそうです。


今日も元気ですよの挨拶程度の更新です。


だもんで、


メルマガの紹介は長いやつを!(笑)


今回は久しぶりに ゆうさん ので


[社会福祉に全力を注いだ男]


です。


最近、世のため人のための話があったので・・・・・。


では、どうぞ。

おはようございます

絶好調♪ワクワクさま♪でツイてる♪

★ゆうです★


一昨年

三十路になりました



そして・・・




一昨日


イボ痔になりました(笑)



行きます!

~~~~~

[社会福祉に全力を注いだ男]


小野 太三郎が、母の使いで近江町市場へ行った十一歳のときです。

人だかりのなかに、大きな海亀がいました。近江町には人がたくさん集まるので、見せ物になっていたのです。


縁起のよい亀に自分もあやかりたいと、お金をあげる人、まんじゅうを供える人、お酒を飲まそうとする人

亀の周りには、次々と人々が集まってきます。


息苦しくなった太三郎が人だかりを抜け出たそのとき

かたわらに、じっとうずくまって、やせ細った手をさし出している老人に気付きました。


「あわれな老人に、何か食べる物をめぐんでください」

と、老人はぼそぼそとした声をかけてきました。


さっきの亀にはお金がたくさん集まっていたけれど、この老人には声をかける人もなく、汚いからと足で蹴る者すらいました。


「亀にお金を与える人がいても、この老人に与える人はいない。

こんなおかしなことがあっていいのだろうか」


子どもの太三郎にはどうすることもできなかったのですが

この日、太三郎は

「大きくなったら、このような人たちを助ける仕事をしよう」と、心に固く決めました。



さて、十三歳で加賀藩に仕え、仕事を持つようになった太三郎ですが

翌年、重い目の病にかかり、一時視力を失います。


そのころの太三郎は日常生活の不都合や将来への不安に苦しんでいました。

その後、幸いにも目はよくなり仕事を続けることができましたが、体の不自由さがどれほどつらいものかを身をもって体験したのです。


元治元年、太三郎が二十四歳のころ、加賀藩は来る年も来る年も凶作に見まわれ、人々のなかには食べる物もなく

道にさまよう人、道ばたに倒れる人が次々と出てきました。


太三郎は少年時代の気持ちを忘れず、中堀川にあった自分の家を空けて、貧しい人々を住まわせます。


また、明治二年、今まで加賀藩が面倒を見てきた卯辰山の撫育所(貧しい人たちの生活する施設)が閉じられて

行くところがなくて困っている人たちを自分の家へ温かく迎えました。


明治六年、太三郎が三十三歳のころには、木の新保(現在の金沢市本町)に一軒の家を買い、

目の不自由な人ばかり二〇人を住まわせて世話をするようなります。


このころから、人々を救おうとする太三郎の苦しい闘いが本格的に始まります。


まず、この人たちには仕事がない。

食べ物など生活費は太三郎が稼がなければなりません。

自分の家で大切にしていた古道具を次々と売り払い、

売る物がなくなると

今度は武士だった人の家から古着や家具、調度品を買い集め、農家の人たちに売りました。


町や村へ菓子を売って歩くこともしたのですが、その生活費は大変な額になります。


太三郎はただ世話をしていたのではありません。


働ける者には仕事を探し、若い人たちにソロバンを教え、字を学ばせました。


健康な人には商品を売り歩いたり、人力車を引くなどの仕事を与えました。


その利益は、将来その人が自立をするために貯金していたのです。


太三郎は疲れ果て、夜になるといろいろなことを思います。


「みんなに人間として生きる希望を持ってもらうことが大切だ。

私一人では限度がある。

もっとたくさんの人たちの協力が必要なんだ。

みんなにお願いしてみよう」


太三郎が、毎日毎日、血のにじむような苦労を続けていることを知っている人たちは、進んで協力を申し出ました。


呉服屋、医者、床屋たちが、今でいうボランティアを買って出てくれたのです。


そして、明治三十八年、卯辰山のふもとに財団法人「小野慈善院」がつくられました。


長い一生をこの仕事に注いできた太三郎の喜びは、どれほどであったでしょうか。


それからも、太三郎は院長として、身寄りのない貧しい人たちのためにつくし

明治四十五年 七十二歳で亡くなります。



慈善院は、その後、社会福祉法人「陽風園」として入園者も一〇〇〇人を超え

職員四五〇人となり、わが国で最も古い社会福祉施設として全国的に知られるようになっています。


生涯をかけて貫き通した、その優しさと強い意志は、建物や人が変わっても引き継がれています。


~~~

【出典】

伝えたいふるさとの100話

ttp://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/

より

・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

良いお話です

たった一人の優しさから、多くの人が救われたのですね

素敵です☆




こんな感じです。


最近、「志」や「本気」という言葉をメルマガでよく見ますが、


ちょっと気にしていきたいですね。


んであ、またあ


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
このたび
どうも ぶっちゃんです

いいですねー

熱いですねー

身近にこういう人がいるのは

ほんまに嬉しい限りです!

このたびもくねんさんのブログを

リンクさせていただきました

今後ともよろしゅうです!!
2011/01/16(日) 12:32 | URL | ぶっちゃん #ZUaehkAc[ 編集]
どもども、
明けましておめでとうございます。^^

年明けから嬉しいコメントありがとうございます。

熱い話や感動する話にはいつも心震えますね。(笑

紹介がほとんどですが、少しでも熱い方々を知ってもらえたら嬉しいです。

ぶっちゃんとはもっともっと親交を深めていきたいと思いますし、

今後もよろしくお願いしやす。^^ノ

僕もさっそくリンクさせてもらいますぅ~~。
2011/01/16(日) 21:36 | URL | もくねん #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mokunen240.blog25.fc2.com/tb.php/299-2c2f8637
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。