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ほんまに、寝てしまいます。


困っております。^^;


今日は、子供の熱が出てたので一緒にお風呂には入らず。


寝かすだけ。


歯磨きも、風呂や雑用も残しておくと寝ないだろう・・・・・・。


なんて考えは、


あまい!


あま~~~い!。


さっき目が覚めました。^^;;


そんな毎日です。(平和ですね~~。(笑)


ここ、2,3日と昼間は暖かいです。


気温的にも春ですね。


風や陽射し、草花の状態などにも変化が見受けられます。


ちょっとすると、


暑いぃぃ~~~・・・・。


なんて言ってそうですが、


もう1,2回は”寒”がありそうですね。


では、今日のブログ紹介ですが、


今回もゆうさん。


しかし、感動話ではないので仕事場やバスや電車内で読んでも大丈夫です。^^




ゆうです

ワクワクおはようございます♪


いつも読んで頂きありがとうございます☆


行きます!

~~~

死を宣告された男が、仕事に見た“夢”

東芝で伝説をつくった西室泰三氏に学ぶ』




西室氏が経済界で頭角を現したのは、

1995年に東芝の専務取締役に就任し、

DVD規格戦争の指揮官として

東芝に大勝利をもたらしたことがきっかけである。


当時、本命と思われていたソニーとフィリップ連合軍のMMCDを相手に、

西室氏は東芝を大逆転勝利に導いた。


その後先輩8人を飛び越えて社長に就任し、

東芝の歴史に残る数々の変革を成し遂げ、

実績のみならず、記憶に残る社長の1人となった。




そんな西室氏が若い頃、

難病に襲われ死の危機に面した経験を持っていることは、

あまり知られていない。


1961年に当時の東京芝浦電気に就職して半年ほどたった頃、

西室氏は原因不明の難病に襲われた。


ある日足が思い通りに動かなくなり、

特に疲れると筋肉が死んでいくという感じがしたそうだ。


病院にいったところ、医師に「もってもあと5年」と、

余命を宣告されたのだった。


西室氏は、原因不明の筋肉が衰えていく病に侵されていた。

医師からは、「足から始まっている筋肉の衰えが、

しだいに身体の上部に移っていき、

最後に心臓までいったら終わりです」と言われたそうだ。


死を宣告された時のことを氏は、

「わけが分からなかった。

終わりって言われてもピンとこないし、

ちっとも現実味がないから、

ショックを受けるということもない。

ただただ、わけが分からなかった」と、語っている。




まさか20代の若さで自分が死ぬなど、想像できるわけがない。


「そんなわけはない」と強く否定した西室氏は、

あちらこちらの病院をめぐり、

半年以上かけていろいろな先生の診断を仰いだそうだ。




ところが、どこも結果は同じ。

どの先生にも一様に、

「原因不明。余命5年」

と言われたのだった。


だが、どんなに否定しても、日に日に足は動かなくなった。

確実に弱まっていく筋肉を目のあたりにし、

悪夢が現実味を帯びてきた。


その途端、極度の恐怖を感じ、

とにかく頭からその恐怖を遠ざけようと、

がむしゃらに働いた。


 
頭の中を仕事で埋め尽くせば、

恐怖を忘れることができる。


そこで、西室氏はできるだけ会社で残業をし、

仕事をひたすらやり続けたそうだ。

それでも埋まらない時間は、たばこと酒で紛らわした。


1日でワンカートンものたばこを喫っていたというのだから、

その恐怖の重みが伝わってくる。


医師からは「筋肉の病気で死ぬ前に、肺がんで死ぬ」

と警告されるほど、たばこで時間を埋めたそうだ。




ところが、である。
 
なんと西室氏は、恐怖ととなり合わせの状況で、

「自分のモニュメントを東芝に作ろう」という目標を掲げたのだ。
 

 
死んだ後に忘れられてしまうような生き方をしては、意味がない。

自分の死後も周りの人たちが自然と自分のことを思い出してくれるように、

東芝に自分のモニュメントを作れるような人間になろうと、

将来をイメージした。




「生きている価値があるということは、

自分がいなくなった後でも、

『あの人がここにいてくれればな』と思ってくれることじゃないか、

だから残された時間で、

そういうふうに自分のことを思い出してくれる人を、

どのくらい増やすことができるだろうと考えましたね」と西室氏は語った。
 
 

「何回も何回も自分で考えるうちにね、

それだけの時間があれば、

多分みんなが覚えてくれるだけの仕事はやれるよね、

と思えるようになった。

“5年も”あれば、何か自分でできる、と思ったんです。

そう、“5年も”あるってね」


目標を持つことで働き方が変わった




その瞬間から、

それまで「恐怖から逃れるため」だった

“がむしゃらで無謀”な働きぶりが、

「目標」を達成するための“努力”に変わった。


死という人間にとって最大、

かつ最強のストレスに遭遇し、

将来を失ったかにみえた西室氏が、

将来に向かって歩き始めたのである。

 
なぜ、西室氏はそんな過酷な状況で

「自分のモニュメントを作る」という目標を掲げることができたのか? 

 
そこには2つの要因があった。

 
1つ目は、母親の存在だ。
 

当時西室氏は、会社には病気であることを隠し、

上司や同僚には

「昔、スキーをやっていて痛めた足の具合が悪い」

と告げていたそうだ。


病気だと知れれば、どんな処遇が下されるかわからない。

そこで、身体がどんなにしんどくとも、隠し続けた。

 
そんな西室氏が、唯一気を許せたのが母親だった。

母は“お茶断ち”をし、お百度参りをし、

ひたすら西室氏の回復を祈ったそうだ。


そんな母親を見て、

「残された時間を価値ある生き方にしないと、

母親に申し訳ない」と思ったという。

 
「価値ある生き方とは、どんな生き方か?」
 

何度も何度も自問し、答えを出した。
 

「自分がいなくなった後でも、

『あの人がここにいてくれればな』

と思ってくれるような生き方だ」と、考えたのだ。

 
そして、2つ目の要因が、

「自分にできる目の前のことに、

ひたすら取り組んだこと」だ。

 
氏は恐怖を頭の外に追い出すために、

ほとんどの時間を仕事に費やした。

ただ費やすだけでなく、

「自分のできることはないか?」とプラスαを探し、

自分の仕事に加え続けた。

 
商品を売るには商品のことをとことん知ろうと、

毎週末工場に通い、工場員の作業を見学し、

技術者に商品について教えてもらった。


当然ながら、余命を告げられていた西室氏に、

この時将来の夢などなかった。


「夢をかなえるために、何かを達成するため」

に仕事をしたのではなく、

恐怖から逃れるためだけに、

ただひたすら仕事に全精神を傾けたのである。

 
ところが、最初は恐怖から逃れるために没頭した仕事が、

やればやるほど楽しくなった。


自分の知らないことを技術者から教えてもらい、

自分の職場以外の人と関わるうちに、

仕事が面白くなったのだ。


 
自分にできることが、他にはないか?
 
自分の知らないことは、他にはないか? 
 
こうして、自分に与えられた仕事にどんどんプラスαを加えていった。

 
心を“無”にし、ひたすら目の前の仕事に全精神を傾けたら、

仕事が面白くなっていた。


その結果、「自分のモニュメントを東芝に作ろう」

という目標が生まれたのだ。

 
念のため繰り返すが、これは氏が入社して間もないころの話だ。

つまり、新人。

まだ半人前で、簡単な仕事しか任されていないのに、

その簡単な仕事に自分で付加価値をつけていったのである。

 

「夢や目標を掲げれば、仕事に前向きに取り組める」と、

誰もが思う。


だが、逆もまた真なり。

「目の前の仕事にただひたすら取り組めば、

夢や目標が見えてくる」こともある。

 
夢が必要だからと無理やり夢を掲げたり、

目標が必要だからと無理やり「目標」を立てるのではなく、

体感する中で自然とわいてきた夢や目的には、“命”が宿る。


体験する中で抱いた夢や目標は、より現実味が出てくる。


頭だけで考えた夢は妄想で終わりやすいが、

体感する中で抱いた夢は、叶えられる夢となる。

 
頭で考えるのではなく、動いて、感じることが必要なのだ。

 
「何をしたらいいのか分からない」とぼやく部下に、

「それ、夢を持て! それ目標を掲げろ!」と言うのではなく、

「目の前の仕事をひたすらやってみろ!」と、

助言してもいいのではないか。

 
自分に与えられた仕事を100%こなすだけでなく、

101%、102%と、もっともっと無心に目の前のことだけを繰り返すと、

不思議と「自分のやりたいこと」が見えてくる。

 
夢や目標がないから、

「何をやったらいいのか分からない」のではない。

何もやっていないから「夢や目標が分からない」のだ。


モヤモヤしてシャキっとしない時には、

何も考えずに目の前のことを“無心”にやるといい。

 
何かのためとか、何か達成するためではなく、

ただ自分にできることを100%、101%やり続けるといい。

 
そうすれば、これまでとは違う風景が見えることだろう。

 
そして、余命5年と宣告された西室氏が今なおお元気なのは、

仕事の成果が認められて3年後に米国駐在になり、

そこで最新の医療に出会い、一命をとりとめたからである。


「自分のモニュメントを作ろう」と必死に働いたことで、

命まで取り戻すことができたのだ。

 
これから先、自分の未来に何があるかは、

無心に取り組んだ人にしか分からない、のである。


~~~

出典

日経ビジネスON LINE
河合薫の新・リーダー術
上司と部下の力学より




・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・




スゴイお話です!




目の前のことに無心で全力で取り組むこと。。。





目の前には興味のあるものがたくさんで、


一つ所へ向かえてない気がするもくねんです。(ははっ


んであ、またあ



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